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2012年04月12日

愛人と妻の違い

・・何で食の安全ブログで・・・と思われる方もいらっしゃるでしょうが・・・。

この記事、面白かったです。

「なぜ、愛人宅は居心地が良いのか?」

http://takedanet.com/2012/04/post_096b.html

長期的視野に立ち、その人の事も親身に考えてるつもりで、
「内部被ばくは危ない!」
といってる自分は、役所の職員や学校の先生や、周りの人にとって
「口うるさい妻」のようなものなんだ~と納得。
(または「母」?おせっかいなおばちゃん?クレイマー?)

人はみんな、無意識に耳触りの良い、心地よい言葉や態度を求めがちだから、
「大丈夫。安全、安心です。」
と、愛人的に言われたら、そっちになびいてしまうのかな~?

そして、今の日本政府は国民にとって愛人なのね。
耳障りよく、お金をせびって丸腰にして、
被ばくさせて、介抱もせずに最後は捨てるのかな~?
「金の切れ目が 縁=絆の切れ目」ってね?

能天気なのに危機的な日本の現状にわじわじしている自分にとって、
これはおもしろい指摘でした。

この
中部大学の武田教授の記事、もう一つ引用します。
(以下、引用。強調は引用者)

愛知県、交通違反の検挙を全廃か?・・・園児1400ベクレル・瓦礫搬入と続く

http://takedanet.com/2012/04/1400_8f05.html

愛知県の幼稚園の給食に、1キロ1400ベクレルの椎茸を使っていたことがわかった。これは、政府が決めたいい加減な規制値の14倍、本来、幼児に食べさせて良い法律で決まっている濃度の32倍である。

まもなく担当者が逮捕されると思ったら、愛知県は「1月しか食べていない。食べた量がわずかなので、健康に影響はない」という趣旨で取り締まらないことを発表した。例によって愛知県も「足し算」ができないから、園児は、空気もすわず、お米も食べず、遊びもせず、鉛の服を着て外部線量もゼロ、として計算している。

愛知県は園児(私たちの宝)に放射性物質を食べさせても、規制値や法律に反しても「実質的に悪いことが起こらなければ良い」という基本方針を出した。瓦礫引き受けに次ぐ、「法治県の放棄」を宣言したものと考えられる。

どんな規制値を破っても「そのたびに実質的に被害がでなければ取り締まらない」と決めたのだから、これは現代日本の規制行政に大きな影響を与えるだろう。

・・・・・・・・・
愛知県警は直ちに「交通取り締まりの中止」を決めるか、または知事が命令するだろう。これまでは、交通違反の取り締まりは「事故が起こる前」に「道路交通法」に基づいて行われていた。制限速度50キロの道路を80キロで走って事故を起こさなくても白バイに捕まった。

でも、2012年4月からは違う方針が出たらしい。制限速度をいくら超えていても、「たまに80キロで走っても危険ではない。事実、私も歩行者も損害を受けていない。」といえばもちろん無罪放免だ。

愛知県は規則で取り締まることをやめて、実質的に事故が起こったときに取り締まる方針に変えたのだし、憲法の法の下の平等を守るのだから、取り締まることはできない。

速度違反だけではない。家宅侵入罪で逮捕されそうになったら、「家に入ってもたまたま家人がいなかったので、何も問題はなかった。靴を脱いで入ったので汚してもいない。愛知県は法律や規則を破っても、実質的に損害を与えていないなら取り締まらないとしたではないか」と言えば良い。

これまでなら「規制値」というのはそれを超えて「何かが起こった」ときに問題ではなく、「規制値を超えること自体で罪になる」というのが日本社会の常識だった。愛知県はそれにくさびを打ったのだから、すごい!!
・・・・・・・・・


それにしてもかわいそうなのは愛知県の園児だ。おそらく園児自身は新聞も読めないし、知事に文句も言えないだろう。ひたすら大人を信じてセシウム入りの椎茸を頬張ったに相違ない。かわいそうに・・・

東電や政府は強いから文句も言わず、弱いものならどこまでもいじめる・・・そんな愛知県に住みたくない。おそらく責任者は「すみません」と言い、規制担当者(生活衛生課)は「違反しても大丈夫」と言うだろう。大丈夫なら何で規制があるのか! いくら大人が頭を下げても、食べたものを子供がはき戻すことはできない。

東京都の医師からの情報によると、原発事故前はほとんど見られなかった徐脈性不整脈や内科的に異常所見が無く全身倦怠感を感じている子供が増えているという。愛知県の職員がなぜ「法律に違反している放射性物質を食べて」、自分の判断で「安全だ」といえるのか? それも子供は椎茸だけを食べているのではない。

大人は私たちを信じている子供をもっと真剣になって考えてあげなければ大人ではない

(引用ここまで)

考えさせられます。
ツイッターでも火山地質学者の早川先生が
「ガレキ反対論者は岡崎のシイタケの件も告発しろ!」的発言をしていたようですが、
感情的な面を抜きにすれば、それも一理あると思いました。

https://twitter.com/#!/HayakawaYukio


・・・・・・・・・・・・・・・

「出来るだけ騒がないで収める。」
「我慢して耐えてその場をしのぐ。」

農耕民族的要素が強い日本では、「土地に永続して生きる」ことが狩猟民族より重要。
だからこそ、その土地で生きられなくなるような本音発言は避けたり、
それを逆手にとって集落内の結束を強制したり、
その結果として、今回の事故では避難の移住が難しくなったり・・・。


でも、一人一人が自分で感じて考えて、危機を叫ばないその態度が事態を悪化させている。
利権主導者の思いのままに操られる隙を与えている、ともいえる。

そういった大人の都合の結果が、
個人レベルの問題ではなく(がれきも汚染食料拡散も)、
子供たちも一緒に被ばくに巻き込まれるのが怖い。

だからこそ、今必要な事として、
「全員が同じ意見でなくても良い」という前提で、
まずは一人一人が自分のその時の意見を言うことから、再度学び始める必要があると思う。

人と話すことで自分の学びも深まるので。

そして、それぞれ責任を追及し合うのではなく、
愛情と共感できる部分でつながり、
今は情勢が以前より激変しやすいことを前提にする柔軟性も必要。

こんなことに注意して・・・。
http://www.kakehashi.or.jp/?p=5656

(参考・ネットを使った情報統制などへのアドバイス
「ホームページポリス」から一部引用)

そして、自分が迷った時には、不安になったときには、「これは自分の愛から出たものか」ということをみつめてください。子供たちのために!と純粋に思ってやったのなら、それはいいことです。
人から目立とうとしているとか、あれこれ言われても、自分が、「愛」だけでやっているのなら、傷つく必要さえないです。一時孤独でも、必ずそうやって、同じようにろうそくの明かりのような灯りをどこかでともしている人にめぐりあって、つながっていけるから。

(ここまで)

最終的に、自分に嘘はつけませんよね。




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Posted by ishigakikyusyoku at 03:09│Comments(0)参考資料
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