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2012年04月12日

食べることは命を頂くこと

食べることは命を頂くこと
生きることは確かめること

野呂美加さんの
チェルノブイリへのかけはし
を読んでいて、そんな言葉が浮かんだ。

栄養補助剤にビタミン剤等、安易にサプリを使うこと。
放射能排出にペクチン。
(バンダジェフスキーさんはペクチンの放射性物質排出の特効性について懐疑的だった)

今の科学で正しいとされている事、
これからもどんどん変わるかもしれない。
(たとえば日本で当たり前とされている牛乳のカルシウム等栄養効果のウソとか、
1日30品目まんべんなく食べなさいという栄養指導とか、
偏食はいけないとか=その人なりに必要・不必要・アレルゲン等問題ありの食品は違うから・・・。)

科学は進化するし、原発事故をきっかけに、
科学にも利権が干渉していることが、はっきり分かってしまった。

変らない事。
命をいただく。
それが命をつなぐ。

命が健全につながれないと、社会もそこに暮らす個人も不健康で不幸せだ。

安易なブームに警鐘。
ただ、その中にある真実らしきものと可能性を探しつつ・・。

(以下、チェルノブイリへのかけはしブログ・
コメント欄から一部引用。強調は引用者による。)

http://www.kakehashi.or.jp/?p=5766

野呂さんはサプリメントをとることを基本的にはあまり本の中でもおすすめしていませんが、ストロンチウム対策でカルシウム錠剤を飲んだほうがいいというお話がありますが、どう思われますか?
安価なアメリカ産のものとかでも大丈夫でしょうか?
添加物がやはり気になります。
ご意見をいただけたら嬉しいです。( ガーベラ)

ガーベラさん、私たちも昔、チェルノブイリの子供たちにビタミン剤を持ってきてくれと言われて、重たい思いをして持って行きましたが、子供たちは喜ばなかったこと。つまり、魂がよろこばない物であること。
それから、ほどなくしてビタミンAの摂取のしすぎは腎臓に障害を起こすとか、何々のとりすぎは、こんな障害が起きるなど、注意していないとそういう記事はこっそりと、どこかに出ているのです。よかれと思って摂取させて、あとからわかるほど怖い物はありません。セレンや亜鉛も放射能をブロックするには、大切な微量ミネラルですが、これらの栄養素、とりすぎるとまた別な病気の原因になったりするやっかいなものです。自然界のバランスを知らない人間の浅知恵なんですね。
もちろん、病気で意識がなくて、という状態のときには、栄養の点滴にたよるしかありませんが。
これから長い間、サプリメントをとり続けるという不自然な生活は、私たちの身体よりも心をむしばんでしまいます。
あんな毒をまき散らすようなものを、たかが電気のためにつくることを許せてしまう、「ま、いいか」というそういう生ぬるい感性が私たちの中にできてしまうからです。
食べ物は、栄養でもなく、まず「いのち」を「いただきます」というそういう気持ちで味わいつくしてはじめて身体の実になるのです。
いただきます!と言えない命のないものは、食べ物ではない。お薬になってしまう。
ストロンチウムを出すカルシウム錠剤を飲むことが、自分の心をどれだけ傷つけているか、私たちは無感覚になっています。
危険な牛乳をやめて、カルシウムの入っている食べ物を食べること、喜んで食べること。
そして科学的な薬のもう一つの困ったところは副作用があるということと酸化しているということです。さらに、カルシウム剤を飲むことで体内のマグネシウムやリンとのカルシウムバランスが崩れたとき、骨粗鬆症になる可能性も指摘されています。
確かに汚染のない日本の食品を手に入れることが難しいかもしれませんが、被ばくした身体に化学的なものの副作用はきついと、ベラルーシの科学アカデミーの方がおっしゃっていました。
そういう意味では、自然界からのめぐみがいちばん、私たちの健康の底力をつくってくれます。愛情のこもった料理がいちばんです。
江戸時代、夏にビタミン不足を補うために甘酒をつくって飲んでいたそうです。「甘酒」は夏の季語だそうです。ビタミンやミネラルは発酵食品にたくさんある、そして暑気払いになることを私たちの先祖は知っていました。砂糖が贅沢品だった時代、甘くておいしい甘酒は心も体も満たしてくれたのではないでしょうか?

(引用ここまで)

魂が喜ぶ

感覚的な言葉ですが、原発問題をはじめ、現代人が抱えている問題の根底には、こういった感覚的な実感を忘れていたり、おざなりにしていることがあるのでは?と、ずっと思っています。
・・・ので、活動を続けてこられた野呂美加さんのこのコメントは、心に響きました。

母として、魂を込めて子供に食事を作り、
(シンプル調理など、手を抜けるところは状況に応じて抜く。
抱え込むと大変になりすぎる時には特に。
食材の選定と、調理のバランスを追及する感覚は手を抜かないのが理想。)
食材の命をいただき、命をつないで生きる事の意味を、
一緒に考えていきたいです。



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Posted by ishigakikyusyoku at 01:38│Comments(0)参考資料
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