2012年01月22日
給食忌避の動きが増えている
全国的に、給食忌避の動きが増えているようです。
私からしたら、当たり前ですが。
だって暫定基準値に信頼性がない。
「安全です」だけで、正確で詳細な情報出さないことに信頼性がない。
測定しないことに信頼性がない。
それに、
今までの添加物使用(調味料や加工品など)に不信感。なぜご飯に牛乳?・・・など
給食不信は今に始まったことではないので。
ただし、みんなで配膳して食べる楽しさやメリットは評価してます。
問題は安全と健康に対する意識の低さ、旧態依然の戦後的栄養学の古さなど。
(時代はどんどん変わっているというのに。
しかも原発事故以来、加速して危機的に!)
こういう記事を見つけました。
学校給食忌避 過剰反応と言うほかない
(msn産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120122/edc12012203020003-n1.htm
(一部引用)
「誰もがやり出せば、学校給食という制度自体が成り立たなくなる。
学校給食は児童生徒が同じ食事を皆で配膳して、味わうことに意味がある。教育活動の一環でもある。」
この記事を読んで思いだしたのは、子供の学校に行った時に校長先生と教頭先生に言われた言葉です。
先生方も同じようなことをおっしゃっていました。
この記事を読んで、皆さんはどう思われますか?
以下は、私の一個人としての意見です。
(うちは、1月からお弁当持参です。)
親として、給食を楽しみにしている子供の事を考えたら、お弁当持参は苦渋の決断でした。
上記記事中に、『親の要望に科学的根拠がない』とありましたが、
私はネット上で得られる(新聞やテレビは取り上げないから)資料をかき集め、読みあさり、
信頼性のあるものをまとめて資料を作成し、それを学校に持参し手校長先生にお渡しし、話合いの1週間以上前に読んで頂きました。
そこで先生方は多分
「将来的にも、責任を追及されては困る」
という想いと
「輪を乱されては困る」
という考えの板挟みになったと思います。
子供のリスク管理の最終責任者は、学校ではなく親です。
(学校や先生は数年の付き合いで終わります)
今まで起こったことがない事がこれから数年以上にわたり持続すること、危険かもしれない、取り返しがつかないかもしれない、ということを、親の責任として調べ、対策することに、やましさや遠慮はいらないと思いました。
さんざん危険性を調べ、自分の感覚を信じて、数か月様子を見て出した結論です。
子供には、機会があるごとに説明しています。
「お母さんは○○がいちばん大切だから、後から病気になって悲しい思いをしたくないから、お弁当にしてほしいんだよ。」
「今まで起こったことがない事(原発事故と長期の高濃度放射能漏れ)が起きていて、それはすぐに終わらないし、病気もすぐになるわけじゃないけど、ここで気を付けないと、後で苦しい思いをするかもしれない。だから今出来る事をしておきたいんだよ。」
「大人の中にも、良い人ばかりではなく、自分のお金や立場が一番で、人を傷つけたりだましても良いと考える人がいて、それはとても悲しいことだけれど、そういう世の中を生きていかなくてはいけない。」
「でも、お父さんもお母さんも、全力で○○を守るからね。」
などなど・・・。
メニューは学校の要望もあり、給食に出来るだけ合わせて作っています。
(そのほうが子供にも受け入れやすいかな?と。)
大阪の友人宅でも、9月から小学生の子供の給食をやめてお弁当にしているそうですが(メニューは合わせていない)、「まずそう」とかいろいろ、いじめに近い事を言ってくる子もいるようです。
でもその子は明るく乗り越えようとしています。(親の愛情への信頼があるからでしょう。)
この話を聞いて、中学時代、いじめられそうになっていた友人をかばったことで、標的にすり替わった経験を思い出しました。
学年内で力のあるグループに意見したら「あいつ、気に食わねえ。」と、リーダー格の子が言ったそうで、
そこからが不思議でしたが、そのグループの子たちだけでなく、クラス中全員が、私の事を無視するようになったのです。(今にして思えば多分、自分に飛び火するのが怖かったのでしょう。)
それから数週間、辛かったけど、(幸い他のクラスの友達とは今まで通り付き合えたので)何事もなかったようにふるまっていたら(負けず嫌いなので?)、いつの間にか、今度はクラスみんなの人気者になってました。(別件でいじめられてたらしい子から、「勇気をもらった」と、手紙を貰ったり・・・。)
私からしたら「なんやねん。」って感じでしたが、じっと様子をうかがっていたみんなが、手のひらを返したように、私に話しかけて来たり、自分は変わらないのに、周りの空気が急に変わった。
そういうことって、多分、よくあることですよね。
何がいちばん大切?
何を信じる?
それだけが判断基準です。
いじめたり、白い目で見たりする人は、知らないだけかもしれない。
何かしら気になるというサインかもしれない。
そういう人(他人)に自分の判断を預けるのは、おかしい。
こんなに放射能が大放出されて、人類の危機かもしれない時代、隠されているけれど、実態はサバイバルなのに、些細なことでいちいち傷ついたり、エネルギーロスしていられない。
明るく、胸を張って堂々と自分の道を行こうと思いました。
だってこれだけ調べて出した結論だし、自分の人生だもん。
今の自分には子供がいちばん大切だ、と確認できたし。
あっけらかんと。
そうすれば、そのうち状況は変化します。
少なくとも今までの経験ではそうでした。
(環境保護活動をしたときなども。
どうしてみんなわからないのだろう→(時間が経つと)世間の常識化)
でも、それには時間がかかるようです。
もちろん、どうしても分かり合えない人もいますが、強要してもトラブルの種を増やすだけなので、そういう争いもエネルギーロスになると思ってます。(時間に任せる。無理追いしない。)
それぞれが自分の考えを持って良い。暴力的、操作的に尊厳を脅かさなければ。
まずは分かり合える人とつながっていくこと。
情報の共有や、一緒に出来る事をしていくこと。
それが、暮らしやすい生活を作る第一歩だと思ってます。
私からしたら、当たり前ですが。
だって暫定基準値に信頼性がない。
「安全です」だけで、正確で詳細な情報出さないことに信頼性がない。
測定しないことに信頼性がない。
それに、
今までの添加物使用(調味料や加工品など)に不信感。なぜご飯に牛乳?・・・など
給食不信は今に始まったことではないので。
ただし、みんなで配膳して食べる楽しさやメリットは評価してます。
問題は安全と健康に対する意識の低さ、旧態依然の戦後的栄養学の古さなど。
(時代はどんどん変わっているというのに。
しかも原発事故以来、加速して危機的に!)
こういう記事を見つけました。
学校給食忌避 過剰反応と言うほかない
(msn産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120122/edc12012203020003-n1.htm
(一部引用)
「誰もがやり出せば、学校給食という制度自体が成り立たなくなる。
学校給食は児童生徒が同じ食事を皆で配膳して、味わうことに意味がある。教育活動の一環でもある。」
この記事を読んで思いだしたのは、子供の学校に行った時に校長先生と教頭先生に言われた言葉です。
先生方も同じようなことをおっしゃっていました。
この記事を読んで、皆さんはどう思われますか?
以下は、私の一個人としての意見です。
(うちは、1月からお弁当持参です。)
親として、給食を楽しみにしている子供の事を考えたら、お弁当持参は苦渋の決断でした。
上記記事中に、『親の要望に科学的根拠がない』とありましたが、
私はネット上で得られる(新聞やテレビは取り上げないから)資料をかき集め、読みあさり、
信頼性のあるものをまとめて資料を作成し、それを学校に持参し手校長先生にお渡しし、話合いの1週間以上前に読んで頂きました。
そこで先生方は多分
「将来的にも、責任を追及されては困る」
という想いと
「輪を乱されては困る」
という考えの板挟みになったと思います。
子供のリスク管理の最終責任者は、学校ではなく親です。
(学校や先生は数年の付き合いで終わります)
今まで起こったことがない事がこれから数年以上にわたり持続すること、危険かもしれない、取り返しがつかないかもしれない、ということを、親の責任として調べ、対策することに、やましさや遠慮はいらないと思いました。
さんざん危険性を調べ、自分の感覚を信じて、数か月様子を見て出した結論です。
子供には、機会があるごとに説明しています。
「お母さんは○○がいちばん大切だから、後から病気になって悲しい思いをしたくないから、お弁当にしてほしいんだよ。」
「今まで起こったことがない事(原発事故と長期の高濃度放射能漏れ)が起きていて、それはすぐに終わらないし、病気もすぐになるわけじゃないけど、ここで気を付けないと、後で苦しい思いをするかもしれない。だから今出来る事をしておきたいんだよ。」
「大人の中にも、良い人ばかりではなく、自分のお金や立場が一番で、人を傷つけたりだましても良いと考える人がいて、それはとても悲しいことだけれど、そういう世の中を生きていかなくてはいけない。」
「でも、お父さんもお母さんも、全力で○○を守るからね。」
などなど・・・。
メニューは学校の要望もあり、給食に出来るだけ合わせて作っています。
(そのほうが子供にも受け入れやすいかな?と。)
大阪の友人宅でも、9月から小学生の子供の給食をやめてお弁当にしているそうですが(メニューは合わせていない)、「まずそう」とかいろいろ、いじめに近い事を言ってくる子もいるようです。
でもその子は明るく乗り越えようとしています。(親の愛情への信頼があるからでしょう。)
この話を聞いて、中学時代、いじめられそうになっていた友人をかばったことで、標的にすり替わった経験を思い出しました。
学年内で力のあるグループに意見したら「あいつ、気に食わねえ。」と、リーダー格の子が言ったそうで、
そこからが不思議でしたが、そのグループの子たちだけでなく、クラス中全員が、私の事を無視するようになったのです。(今にして思えば多分、自分に飛び火するのが怖かったのでしょう。)
それから数週間、辛かったけど、(幸い他のクラスの友達とは今まで通り付き合えたので)何事もなかったようにふるまっていたら(負けず嫌いなので?)、いつの間にか、今度はクラスみんなの人気者になってました。(別件でいじめられてたらしい子から、「勇気をもらった」と、手紙を貰ったり・・・。)
私からしたら「なんやねん。」って感じでしたが、じっと様子をうかがっていたみんなが、手のひらを返したように、私に話しかけて来たり、自分は変わらないのに、周りの空気が急に変わった。
そういうことって、多分、よくあることですよね。
何がいちばん大切?
何を信じる?
それだけが判断基準です。
いじめたり、白い目で見たりする人は、知らないだけかもしれない。
何かしら気になるというサインかもしれない。
そういう人(他人)に自分の判断を預けるのは、おかしい。
こんなに放射能が大放出されて、人類の危機かもしれない時代、隠されているけれど、実態はサバイバルなのに、些細なことでいちいち傷ついたり、エネルギーロスしていられない。
明るく、胸を張って堂々と自分の道を行こうと思いました。
だってこれだけ調べて出した結論だし、自分の人生だもん。
今の自分には子供がいちばん大切だ、と確認できたし。
あっけらかんと。
そうすれば、そのうち状況は変化します。
少なくとも今までの経験ではそうでした。
(環境保護活動をしたときなども。
どうしてみんなわからないのだろう→(時間が経つと)世間の常識化)
でも、それには時間がかかるようです。
もちろん、どうしても分かり合えない人もいますが、強要してもトラブルの種を増やすだけなので、そういう争いもエネルギーロスになると思ってます。(時間に任せる。無理追いしない。)
それぞれが自分の考えを持って良い。暴力的、操作的に尊厳を脅かさなければ。
まずは分かり合える人とつながっていくこと。
情報の共有や、一緒に出来る事をしていくこと。
それが、暮らしやすい生活を作る第一歩だと思ってます。
Posted by ishigakikyusyoku at 15:30│Comments(0)
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