2011年12月12日
ガイガーカウンターが食品マーケットを変えるでしょう
ガイガーカウンターが食品マーケットを変えるでしょう
アーバンプレッパー より
http://prepper.blog.fc2.com/blog-entry-91.html
長いですが、非常に重要な示唆に富んでいます。
廉価な家庭版食品検査機器、早く実現してほしいです(こんなのが欲しいなんて、悲しい時代だけど)。
皮肉にも、日本人に得意な分野である気もしてます。
そのために、一個人としても、今出来る事を探して、行動します。
(以下、一部引用。太字は引用者)
放射能の内部被曝を防ぐためには、最終的には、個人個人、あるいは家庭ごとに、あるいはご近所でお金を出し合って共同購入という形で、で食品検査用ベクレルモニターを保有するしかない と主張してきたのですが、すでに、このプロジェクトの延長線上には、安価なベクレルモニターの開発があるようです。
現在の食品検査用ベクレルモニターは、精度のいいものは500万円程度。検査する食材を細かく刻んでベクレルモニターにかける、というものですが、宗像プロジェクトで進めているのは、食材を刻む必要がなく、一般家庭でも購入できるくらい価格設定のものを開発中とのこと。
やはり、これも大量生産がポイントになります。
これが商品化されても、やはりガイガーFUKUSHIMAのように、何ヶ月待ちということになるでしょう。
材料の一括仕入れ、製造プロセスにおけるあらゆる作業を集約化させること、これが価格にダイレクトに反映されるからです。
こうした個人レベルで放射線量の計測が、日常的に行われるようになると、どんな世界が訪れるのでしょう。
イメージしてみましょう。
真っ先に、ベクレル検査をやっていない食品スーパーは、経営が立ち行かなくなる可能性があります。
(中略)
多くの人たちが日常的に放射線量を計測するようになると、商品の開発・製造・流通の流れが、プロダクト・アウトからマーケット・インに変わる可能性があるのです。
これは平常時では起こりえない変化です。
それが起こる可能性が出てきたのです。
そして生活者の安全は、そこにかかっているのです。
(引用ここまで)
本来なら、商品は、消費者の必要に応じて、必要な機能で必要な分だけ生産されるのが望ましいです。
ところが今までは、生産者都合でコントロールされてきました。
大量生産、大量消費。必要無いモノまで。
地球上のたくさんの資源を使って自然を破壊して、余分なゴミを作り続けてきてしまった(深く反省)。
流行もタレントも使い捨て。不都合な真実は隠され、捻じ曲げられ。安全は一番じゃない。
それが当たり前になったけど、もともと無理があるから、あっという間に行くところまで行って、そして3・11がやって来た。
9か月経っても、放射線も止められない・・・。
今、これから・・・。
震災も原発事故も何もなかったかのように、生活を続けようとしても、無理なのです。
張りぼて社会、砂上の楼閣はあっけなく崩れてしまった。
やがて、隠された内部被ばくの実態が、社会的に次々に明らかになるかもしれない。
その前に身の回りに実際に内部被ばく症状(今まで以上の各種病疫。何か変だ?というレベルから、重い病気まで)が出現するかもしれない。
安全な食料が不足し、奪い合いが起こるかもしれない。
世の中が荒れて、今以上の争いが起こるかもしれない。
そんなことは全く望んでいませんが、政治のトップをはじめ、誰も打つべき手を打たないままに、見ないふりをしていたら、解決されない問題が濁流のように巨大化したとしても、おかしくはないでしょう?
見える人には見えているし、それが杞憂であって欲しいと思いつつ警告されています。
では、どうする?
それが一人一人に問われ続けているのではないでしょうか?
望ましい日常生活(私にとっては、家族で安心して食べられる食事、本音が言える気持ちの良い人間関係、おいしい空気と水、シュノーケルでゆるやかに漂える綺麗な海、ささやかでも、そこにいることを幸せと思える生活環境など。)
そして、それを支えてくれる社会組織。実質的つながり。
その為に必要なモノ・コトの再構築を。
問題が大きくなって手遅れになる前に。
自分の安全、自分で守らないと誰も守ってくれない。
一人一人が主体者で、自分と家族の生活・人生の責任者として問われているのでは?
アーバンプレッパー より
http://prepper.blog.fc2.com/blog-entry-91.html
長いですが、非常に重要な示唆に富んでいます。
廉価な家庭版食品検査機器、早く実現してほしいです(こんなのが欲しいなんて、悲しい時代だけど)。
皮肉にも、日本人に得意な分野である気もしてます。
そのために、一個人としても、今出来る事を探して、行動します。
(以下、一部引用。太字は引用者)
放射能の内部被曝を防ぐためには、最終的には、個人個人、あるいは家庭ごとに、あるいはご近所でお金を出し合って共同購入という形で、で食品検査用ベクレルモニターを保有するしかない と主張してきたのですが、すでに、このプロジェクトの延長線上には、安価なベクレルモニターの開発があるようです。
現在の食品検査用ベクレルモニターは、精度のいいものは500万円程度。検査する食材を細かく刻んでベクレルモニターにかける、というものですが、宗像プロジェクトで進めているのは、食材を刻む必要がなく、一般家庭でも購入できるくらい価格設定のものを開発中とのこと。
やはり、これも大量生産がポイントになります。
これが商品化されても、やはりガイガーFUKUSHIMAのように、何ヶ月待ちということになるでしょう。
材料の一括仕入れ、製造プロセスにおけるあらゆる作業を集約化させること、これが価格にダイレクトに反映されるからです。
こうした個人レベルで放射線量の計測が、日常的に行われるようになると、どんな世界が訪れるのでしょう。
イメージしてみましょう。
真っ先に、ベクレル検査をやっていない食品スーパーは、経営が立ち行かなくなる可能性があります。
(中略)
多くの人たちが日常的に放射線量を計測するようになると、商品の開発・製造・流通の流れが、プロダクト・アウトからマーケット・インに変わる可能性があるのです。
これは平常時では起こりえない変化です。
それが起こる可能性が出てきたのです。
そして生活者の安全は、そこにかかっているのです。
(引用ここまで)
本来なら、商品は、消費者の必要に応じて、必要な機能で必要な分だけ生産されるのが望ましいです。
ところが今までは、生産者都合でコントロールされてきました。
大量生産、大量消費。必要無いモノまで。
地球上のたくさんの資源を使って自然を破壊して、余分なゴミを作り続けてきてしまった(深く反省)。
流行もタレントも使い捨て。不都合な真実は隠され、捻じ曲げられ。安全は一番じゃない。
それが当たり前になったけど、もともと無理があるから、あっという間に行くところまで行って、そして3・11がやって来た。
9か月経っても、放射線も止められない・・・。
今、これから・・・。
震災も原発事故も何もなかったかのように、生活を続けようとしても、無理なのです。
張りぼて社会、砂上の楼閣はあっけなく崩れてしまった。
やがて、隠された内部被ばくの実態が、社会的に次々に明らかになるかもしれない。
その前に身の回りに実際に内部被ばく症状(今まで以上の各種病疫。何か変だ?というレベルから、重い病気まで)が出現するかもしれない。
安全な食料が不足し、奪い合いが起こるかもしれない。
世の中が荒れて、今以上の争いが起こるかもしれない。
そんなことは全く望んでいませんが、政治のトップをはじめ、誰も打つべき手を打たないままに、見ないふりをしていたら、解決されない問題が濁流のように巨大化したとしても、おかしくはないでしょう?
見える人には見えているし、それが杞憂であって欲しいと思いつつ警告されています。
では、どうする?
それが一人一人に問われ続けているのではないでしょうか?
望ましい日常生活(私にとっては、家族で安心して食べられる食事、本音が言える気持ちの良い人間関係、おいしい空気と水、シュノーケルでゆるやかに漂える綺麗な海、ささやかでも、そこにいることを幸せと思える生活環境など。)
そして、それを支えてくれる社会組織。実質的つながり。
その為に必要なモノ・コトの再構築を。
問題が大きくなって手遅れになる前に。
自分の安全、自分で守らないと誰も守ってくれない。
一人一人が主体者で、自分と家族の生活・人生の責任者として問われているのでは?
Posted by ishigakikyusyoku at 12:49│Comments(0)
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