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2011年11月23日

校長先生が児童を被曝させたい理由

校長先生が児童を被曝させたい理由

中部大学 武田邦彦氏のブログ

(以下・引用)

http://takedanet.com/2011/06/post_d5dd.html

校長先生は児童を被曝させるために、

1)
給食は全児童が食べなければならない、

2)
給食に放射性物質を含むものを使う、

と宣言しています.


校長先生は給食に関して義務と権限を持っていますので、このようなことを意図的にされるのは、児童を被曝させたい(結果として被曝量を増やすことを知っているから)と希望していることは明らかです.


常識ではまったく考えられませんが、校長先生には校長先生の「理屈」があるようです。


ある校長先生が次のような「便り」を出しておられます.この校長先生は児童を被曝から防ごうとして、教育委員会にも働きかけ、保護者にも情報を流しておられますが、文章は参考になりますので、使わせていただきました。また、図はすべてダブルクリックすると大きくなります。

まず、第一に「学校給食法」によって、校長先生は学校給食が円滑に行われるように努力する必要があり、給食はその学校の児童全員に行わなければならないということが「法律」で定まっていることを示しています.

まず、普通の校長先生の頭には「自分が守らなければならない法律」が強く入っているのでしょう.

そして、おそらくは「たとえ児童の健康に障害が起こっても、それより法律を守ることが大切だ」と信じておられる戦前の全体主義に近い思想をお持ちの先生もおられます.


つまり、学校給食法で書かれている「給食」の前提が「児童の健康に障害が起こる可能性に無いものに限る」ということであることに思いが至らない教育委員会も多いのです.

昔から日本にはこのようなタイプの人がおられました。自分の学校の児童を、自分の子供のようには愛することができず、単に法律上の任務をすることによって出世を考えるタイプの方です.


さらに、次のような給食の意味があります.給食を学校で行う目的は、

「望ましい食生活の形成と人間関係の形成」

です。


福島原発事故が起こって以来、東北、関東地区の「望ましい食生活」は「被曝量を増やさない」ということであることは異論が無いでしょう。

そのためには、学校給食に「放射性物質が入っていないもの」を徹底的に選ぶことが教育者の役目であることは明らかです.

また、「望ましい人間関係」とは「イヤがる人に無理矢理、嫌いなものを食べさせる」ことでもなく、「思想的に被曝に恐怖を覚える人に無理矢理放射性物質が入っているものを食べさせること」でも無いはずです.

もっと他人を思いやり、他人の心配を自分のこととして受け止めることが望ましい人間関係でしょう。


次に放射線障害の防止に関する基本的な考え方を「法律」で示します.


もともと学校で児童が被曝するなど考えてもいませんので、ここでは対象が「労働者」になっていますが、もちろん児童ならなおさらです。


放射線防護の原則というのは、この条文でも判るように「放射線で被曝する量をできる限り少なくすること」なのです。


「基準以下だから安全だ」という防護原則などないのです。


ところで、野菜などの出荷基準というのは、

1)
対象者は児童ではない、

2)
その食材だけが汚染されている場合であって、現在のようにさまざまな原因で被曝するときには、「足し算」が必要である、


ということで、このようなことは、およそ他人(児童)の「食」について責任を持たなければならない立場にある人がよく勉強し、知り、そして行動をしなければならないのです.

つまり、教育関係者が「給食を出す責任」があるなら、栄養士に「児童の年間総合被曝量」を「数値」でだす必要があるからです。

もちろん、児童の年間総合被曝量は、これもまた法律で決まっている値、


「一般公衆の被曝限度は1年1ミリシーベルトである」

以外にはありません.日本の文部大臣はもともと、内部被曝も食材からの被曝も計算していませんし、日本という一つの国の大臣が出した一時的な数字は児童の健康という点ではまったく関係のないことです。

教育の自由、独立性は日本国憲法の大きな精神の一つです.

・・・・・・・・・

日本国憲法では、基本的人権が認められています.

それはたとえ子供(あるいは親権者)であっても、「自分が食べたくないものを食べさせられる」ことを拒否することはできます。日本国憲法は学校給食法の上位にあり、思想信条に背いた行為を強制させることは出来ないのです。


「福島原発事故からの被曝があるのだから、食事からこれ以上の被曝をさせたくない」

という考え(思想・信条)はまことにもっともであり、被曝に関するこのような考え方は長い間、日本社会で認められ、定着しています.

・・・・・・・・・

ところで私はあまり法律論を展開する積もりはありません。法律以前に「愛情」や「倫理」があり、その方が人間として大切だからです.法律はいざと言う時のものです。


教育関係者で「地産地消」などと言っている人は、児童が空間から被曝を受けているときに、できるだけ被曝量を減らしてあげようと思わないのでしょうか?


学校給食法がどうであれ、被曝する子供達が可哀想と思わないのでしょうか? 


たとえ、「被曝は健康に良い」という奇妙な信条を持っていたとしても、それを児童に強制することはできるのでしょうか?


私は児童に対する愛情を忘れ、子供の健康を心配している親(たとえ一人でも)を「おまえは法律を知らないのだから黙っていろ」という人がおられたとしたら実に野蛮だと思います。


(平成23年6月12日 午後8時 執筆 17日 一部修正)


武田邦彦


(ここまで引用)

学校等によっても対応は違うと思いますが、
概して、今まで経験したことのないリスクの可能性に対して、
積極的に対策が取られていない傾向を感じます。

とにかく親としては、
少しでも危険な食べ物を子供の口に入れたくない、
の一言に尽きます。
(選択できる余地があるのだから、なおさら。)

ましてや、毒性の評価が多岐に分かれ、危険性が不明だからこそ、
結果が出た時には学校関係者は責任を取れないと思うからこそ、
警戒して、リスクを減らそうとするのは、
当然の思いだと思うのですが・・・。

子供への愛情、それが問われているのは確かだと思います。


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Posted by ishigakikyusyoku at 02:24│Comments(0)参考資料
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